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母親の不安と「8050問題」

年末からこの「ノート」について、

  • もっと障害当事者です!感を出していこう。
  • こまっている事を具体的に書いてみよう。
  • できればこのサイトでアフェリエイトとかして収益を出す事も目指してみようかな。

なんて大それたことを思い始めてサイトの改装なんかもしてみたのですが、いざやり始めてみたら、今度はかんじんの文章が書けないままでいることに気がつきました。これでは本末転倒です。

ああ、これではいけないな、ともかく何か書くことから、また始めてみないとと思って今はこの文章を打ち始めています。かといってせっかく思いついたことも簡単にあきらめることもできず、文章を書く事とそれらとをうまく両立させていくことを目標にしてはいきたいのです。

年末年始観

年末年始、この期間が昔からあまり好きではありませんでした。年の押し詰まる感じにやられ、何か皆が急いでいろいろな事を「納めて」いくのについていけない。そもそも自分にとって「納め」るべきことがない。そういう気分で過ごした年末がこれまでいくつもありました。焦りを覚えて、そして気分が沈んでくるので自分ではそんな状態を「年末うつ」などと名付けていたものです。

テレビなんかを見ていても、「この一年お疲れ様でした。年末年始は家族揃ってたのしい時間を過ごしてね」感が溢れていて、そういう情報にもやられる。自分はたいして仕事らしいこともしていないし、お疲れ様の言葉はふさわしくないと自分でも思うし、年末年始をいっしょに楽しむ家族も、まあ、いない。家族としては高齢の親がいるけれど、こちらの方は健康面がいつも心配で、今年も「なんとかいっしょに年が越せた」という一時的な安堵感しか湧いてこないのです。

不安を口にする母親

母親と一緒なのですが、特に去年の後半ごろからは僕が外に出て行くのを心細がるようになりました。いちおう仕事には出て行かないといけないのですが、その時間はなんとか我慢している様子です。けれどもそのほかの時間、たとえば帰ってから犬の散歩に出るのでさえ不安だと言います。少し買い物をしてくるのも、「暗くなってから出ていくのが不安」だと。まして休日に外へ少し長く出かけるなどと言い出したら、どこへ行くのか、何時に帰ってくるのかと質問が飛んできます。これでは少しの息抜きに外で写真を撮ってこようなどと思う気持ちもますます湧きにくくなってきます。

けれども母親も内部に疾患を抱えながら、からだの痛みに耐えながらの生活ですから、確かに家に僕がいない時には不安になるのも仕方がないと思うのです。そういう時のためにお昼の見守りとしてヘルパーさんを頼んだり、マッサージさんをお願いしたりはしていますが、家族以外の人が家に入ってくるのを母親は嫌がります。緊張するようです。

それでも思うのは、それなら自分が母親と仕事以外の時間をべったりと過ごすのが本当にいいのだろうかという事です。介護も、これ以上重度になっても自分ががんばってぎりぎりのところまでそれをするのがただしいことなのだろうかとも思います。家族といっしょに過ごすというのは、ほんとうにいつまでもそうしたいし本来のあり方なのかもしれないけれど、それを無理してやっていくことでお互いにつぶれてしまう、精神的にも身体的にも疲労困憊してしまうようではいけないのではないかと思うこともあります。

社会とつながって「8050問題」と立ち向かう

いわゆる「8050問題」に、うちも突入しているわけですが、少なくとも社会とのつながりを断って問題を抱え込んだまま親子で自滅していきたくはない。親としてはケアマネージャーさんやヘルパーさん、自分は発達障害の支援員さん、その他、これまで繋がってきた社会的資源、人とのその繋がりを保って、これからも生活していきたいと思っているのです。

父の空間と自分のすべきことと

もうコスモスの時期になっていたんだなあと改めて思う。父がなくなってから2ヶ月が経った。今年は夏を感じられることがほとんどなかった。病院への行き来は自分の仕事になっていたし、長い入院生活でせん妄もおこしていた父に対応したり案じたりすることでエネルギーをよく使った。おまけにその期間の途中で母親が足を骨折した。同じ病院に入院させて、そちらの様子も見ないといけなくなった。父親が一時期退院してきた時にはその生活の中で自力でできることは少なくなっていた。急つい、ヘルパーさんを頼み、食事や清拭のお手伝いをお願いし介護用ベッドやポータブルトイレを設置してその介助を何度もした。

父親が再び病院へ戻ってから、今度は母親の生活環境を整えることが必要になった。新たに手すりを付けたり、部屋のレイアウトを以前よりもすっきりとさせたりした。母親はなんとかまた歩けるようになったのでそれは良かったけれど、今度またこけたりしたら・・・というおそれが本人にも自分にも出てきて、以後の生活はより緊張を強いられることになった。母親もまた内科的な持病を抱えているので、事故だけでなくそちらにも気をかけないといけない。

父親は家を残した。それは自分の家ではなくて老後の自分の楽しみの場として、あるいは地元の観光の一助になればという思いを込めて作り上げてきた空間だった。この20年間、毎日そこへ出かけては地元の不要になった民具を集めたり、郷土史の研究をしたりしていた。庭づくりやお茶もたしなみ、面白い形の小さなお茶室を建てたりした。そのスタートの時期、心臓を患ったりしたので本当はこの歳になるまでそんな生活が続くとは、その頃はとても考えられなかった。けれどほぼ20年間、良い方向に想像が外れて父が自分のやりたいことをその場で過ごしながら続けられたことは幸せなことだったと思う。

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夜中に調理する

父の喪も明けたので本当に久しぶりに一眼レフカメラを起動して近場に出てみたものの、何も心に響かないのです。以前なら、「これは是非撮っておきたい」というものがあったのに、何を見ても気持ちを動かされることがない。

父親に関わることはまだ終わってはいないし、今度は母親の体のことが心配にもなってきます。インスリンを打っているので低血糖になりやすく、三度の食事をきちんと摂らないといけないのですが、ヘルパーさんが来られない日は本人のメニューが難しく、料理のレパートリーのほぼない自分には困ったことになってしまいます。

明日はヘルパーさんが来られないので、夜も遅くなってから空いているスーパーへ行ってともかくも明日の昼と夜の母親用の食材を買いました。今の夜中の間に作っておこうと思っています。

もうがんばらなくていい

台風前の夕空

不思議と強いかなしさは来ない。おだやかななつかしさも来ない。そして緊張感は残っている。行けばまだ病室のベッドの上にいるような気がする。ときどき「この暑い夏を、父親は無事今年も過ごして行けるだろうか」と考えていたりする。次の瞬間に、「ああ、もうそれを考えることはなくなったんだ」と思い出す。

何も変わらない気がする。その瞬間から世界の見え方までもが変わるような予想をしていたけれど、何も変わらない。

もう何も食べれなくなり、楽しみも少なくなり、せん妄が少しでもやわらぐように現実感をもってもらいたいと思って畑の様子や犬の姿をスマホで撮っては見せたりしていた。わかる時には「ほぉー」とよくできた野菜の様子に感心をしていた。「お、かわいいな」と犬のことを話していた。

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生きていく術

僕の生活はこのままでいくともうじり貧だ。このままぎりぎりのところまでいって、あとは行政が何か手を差し伸べてくれるのかくれないのかを待つしかない。けれども親のことは、社会的手続きや病院への付き添いや病状の進行をみていくこと、介護の連絡やは必ずやらないと前には進んで行かない。やがては最後に関わることもある。それを放棄するわけにもいかない。
ただ、自分の先行きがじり貧だということがわかっていながら、それらを同時に進めて行くということに、どうしても疲れた。できることなら、親のことがすんだら自分はもういなくなりたい。

若い頃はまだ仕事もできた。誰にもそうは考えてもらえないのかも知れないけれど、たまたま自分が精神科に通院していたり作業所に通った経験があったこともあって家族会活動にも参加し、それに生き甲斐を見いだしていた時期もあった。あの頃はまだ力があり、新しく自分を生き直すんだという気概もあった。それが、それを仕事として考えようと思い出した日から周りからの目は明らかに変化した。新たに立ち上げようとする作業所にボランティアとして加わりたいと話してみた時も、皆の前で叱責を受けた。「君は何を言っているんだ。いつまでボランティアをしようと言うんだ。」大勢の家族の前で怒られた。「開所するにあたってひとりひとりがどんな気持ちでいるかを尋ねたい」と問われたから自分の気持ちをそのまま話した。けれどそれがあんな叱責を受けることになるとは思わなかった。ひとりのお母さんが間に入ってとりなしてくれたのを覚えている。

開所前、資金集めに自分の病院にもビラを置かせてもらおうと足を運んだ。すると既存の作業所の運営委員を引き受けられていた先生から自分がいつも診察を受けている部屋で叱責を受けた。「君らはどうしてあいさつに来ないんだ。誰が責任者なんだ。」
僕は、自分がいつも主治医に自分の悩みを話してはそれをフォローして頂いている部屋でそのような言葉を別の先生から受けた記憶を今でも消せないでいる。ショックだった。作業所開設のお知らせは既にしていたし、設立のために会を開いた時にもその作業所の職員さん宛にお伝えもしていた。その前後、父親が倒れて先生に院内で出会うたびに、僕は気を遣った。なんとか元の僕に対する精神状態に戻ってもらいたいと思って必死だった。けれど最後まであの時の叱責についてまた話し合う機会はなかったし、僕の中に「お前がわるいのだ」と先生から言われたという記憶は残った。

作業所は結局、大きな心の傷を作って離れた。人を信じる事が難しくなり、こわくなった。病院の待ち合いで別のご家族から怒られたこともある。でも僕はけして「義理」でもなく、自分がその場にいた時には、どなたかの不幸があればその最後には出向いた。けれどその後のことでそうしないのはどうしてなのかと怒られたときには、自分はどう答えたらよいのかわからなかった。そして人との付き合いというのは、いったいどこまで必ずやり遂げなければ・・・それが自分のこころの状態がわるい時にも、相手から叱責の目で見られているような時でも・・・しないといけないのかということを、自分の診察を待ちながら怒られている時に思っていた。

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自分を突き動かしていたもの

春04

春が近づいてくるにつれて、やたら疲れやすく、眠たく感じる時間が増えた。少し動いては横になり、ちょっと眠って次のことがようやくできるという感じ。強い悲哀感を感じることも増えて、しばらくパソコンに向かう気もしなかった。悲哀感は、特に寝起きの時にやってくることが多い。悲しい夢を見て起きてもその余韻が残っていたりする。時には涙が出てくることもある。どうにも起き上がる気になれない時には頓服としてもらっているデパスを飲む。自分としてはこの悲哀はどうも親の体調ともっとも関連しているような気がしている。寒さがましになってきて、そのことでの心配は減ったけれど、加齢に伴って言動がどうもぼんやりとすることのあるのが寂しい。仕方がないことだとは思うけれど。特に父親はこれまで人に頼られ交わることに生き甲斐を見いだしてきたので、そういう機会が少なくなると反動のようにぼんやりとすることが多くなった。かといってあんまり人に頼られて動き過ぎるのも本人にはしんどい。

母親は自分と似ている。ふだん、人と出会うのは緊張するのでなるべくひとりでほっとしていたいと思う。けれど人恋しいところもあって、いったん安心できる人と出会うと今度は安心しすぎて多弁になったりする。思いつくことを反射的に言葉に出していたりする。けれど後になってそれを思い返すと、本当に自分の気持ちに沿ったことを言っていたのかな?という疑問がわいてくる。何につけ、もうあんまり自分は前にでないようにしようと思う。

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異音が気になる

もうひとつの有償ボランティアの作業の結果も無事だった。仕上がりもいいという返事をもらえてひと安心する。毎日仕事に出ている人はいろんな心配が連続するんだから本当にたいへんだなと思う。今の自分にそんな状態が耐えられるとは思えない。
けれど、いずれにしても、高齢になっているのだとしても、これからも仕事は何かみつけないといけない。

平日は外に出づらい。車のダッシュボードあたりから聞こえてくる、何かのボルトが緩んでいるような音がずっとずっと!気になっていたので、土曜日にオーディオまわりのパネルを外して怪しいと思うところを見てみたけれど、確実にここという部分が見当たらない。鳴り出すとかなりにぎやかなので、てっきりどこかのボルトが緩んで遊んでしまっているんだと思っていたけれど、そういう部分がない。

日曜日に、歩道を通る人から「何をしているんだ・・」と怪しまれる視線が避けられるよう車の向きを変えてもう一度パネルを外して爪で固定してあるところにビニールテープを追加で挟んでみたり、コード類を束ね直してみたり。結局パネルの浮きを大きくしてチリを目立たせただけで終わってしまう。
でもこの二回目のチェックの時にひとつ「これかな」と思ったところがあって、それは送風口を固定している爪が外れていたこと。その時たまたまそうなったのかも知れないけれど、確かにここが常時外れていたらカチャカチャ音がしてもおかしくないので、ここならいいのにと思いながら取り付けをしてパネルを閉めた。

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ふてきかく人間

早咲きの桜02

去年、この早咲きの桜を撮った頃は父親の具合が悪くなって病院を行き来していた。
2月の後半は依頼作業と父親の体の心配と、自分の心配事が重なって気分が重かった。

作業の方は、ひとつは結果が出てオーケーをもらえた。でも自分としてはなんだか納得がいっていない。もっと工夫をして見栄えのするものを作りたいのになあと思う。親に言わせるとそんなことを考える必要はないのだという。これまでずっと同じ体裁できたものを変えるのはかえってよくないのではないかと。朝日新聞も毎日新聞もずっとこれまで同じ体裁を保っているじゃないかと。そんな全国的メディアと比べてもと思ってしまう。この作業のお金は11年落ちの軽自動車の車検代に消えてしまう。

親の部屋はほぼ一日中、自分の部屋も寝るときにエアコンをかけて暖めているので1月の電気代はすごいだろうことは覚悟していたけれど、果たしてすごかった。3万円を超えていた。この分だと2月分はもっとすごいことになるだろう。
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寒いとうっとうしさも深まる

冬の冷たさ02

なるべく見守りがあった方がいい父親を、週に一度デイサービスにやることに決めて一度体験をと、先週、母親とともに送り出したはいいものの、帰ってきたら「退屈やった」の一言であまり面白くなかった様子。すぐに続けるかどうかを尋ねるのもどうかなと思ったので一日おいて「来週も行くか?」と訊いてみたら、なんと!「もういいわ」と。こちらはてっきり行ってくれるものと思っていたのでちょっと慌てた。

それでもう一度、今のあなたの状態が、少しでも周囲に見守りの人がいる状況の方が望ましいことや、行ってくれればその間に自分が気を張らずにいられる時間が増えることなんかを話すけれども、かんばしい答えが返ってこない。これは話を再度ケアマネさんに振る方がいいと考えて「この状態をどうしたらいいかわかりません」という旨の連絡をしておいた。

今年に入って、おみくじも良い結果だったし何事も順調に!運ぶはずがなかなかうまくいかない。

よかったのは複数の作業依頼があって、平行して物事を進めるのが苦手な自分としては少し気が重かったけれども、いざ考えた出した時にアイデアがわりあい早く浮かんでそれが通ったことと、もうひとつのいつもの作業の方も早めに進行していて時間的な余裕があること。けれど余裕があると感じる時ほどとんでもないミスをするというのがこれまでの自分の生き方でもあったので、これからいっそう注意して進めていかないと、と思っている。

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「ツレがうつになりまして」

夕景02

最近はふとしたことでよく悲しくなる。なみだが滲んでくる程度に。子供の頃から突然、わけのわからない強い悲哀感におそわれることはあったけれど、それにやはり似ている。今は親の健康やら自分の先行きやら、具体的な悩みも深い(と自分では思っている)ので、余計そうした感情がわいてくるのかも知れない。

「ツレがうつになりまして」の映画版を去年の10月頃にテレビで放送していた。録画しておいたものをこれまで消すことなくハードディスクに残してあって、先のような心況になったときに少しだけでも観ることにしている。そうするとその時だけちょっと落ち着けることがあるのに気がついたので。

ただ、気になるのは「ツレ」さんが環境としてとても恵まれているということで、それは連れ合いの宮﨑あおいちゃんが「仕事を辞めないと離婚する」とまで言ってくれることに象徴されているけれど、家も庭付きの昭和古風を感じさせる落ち着いて清廉な感じの、今だからこそむしろ趣のあるものだし、お金にも言うほどには困っていない感じになっているし、連れ合いだけではなくてその周囲にも理解ある人が出てくる。むしろ「うつになったので離婚された」という、もう一人の「病気仲間」さんの姿の方が現実的なんじゃないかと思われるくらい。

それでも観ると癒されるところがあるのは最近の自分にはいいことだと思って、中古の原作本も読んでみることにした。

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