自作熱

このところウィンドウズ機が別に欲しくなっている。ウィンドウズもオフィスソフトも、マックのVirualBoxを使うかBootCampで立ち上げるかすれば問題なく使えるんだけれど、そういうのとは別に、ずっと以前にやっていたみたいに、ウィンドウズ機のデスクトップを一台組み立てたくなっている。

あと、最近パソコンでPUBGとかフォートナイトとか、よくわからないけれどもゲームをするのが流行っているみたいなので、そういう流行りにも一度乗ってみたい。けれどそれを叶えようとすると結構な高スペックを要求されるので、お金もかかるしためらっている。

以前、自作をしていた時はCPUがPentiumとかAthlonの時代だった。今はそれがCore iシリーズやRyzenということになっているようだ。僕は以前もAMD派だったので、今度自作をするとしたらCPUにはRyzenを使いたい。
オークションサイトなどを見ていると、それらを使って組み立て済みのPCが出ていたりするけれど、できれば自分で部品を集めて新しいケースに組み込みをしてみたい。

もっとも職場ではウィンドウズ機で作業しているので、できればAdobeのソフト類もウィンドウズ版が欲しいところ。けれど今Adobeのソフトを手に入れようとすると、どれもクラウド化されて課金制になっているので、個人的使用には敷居が高いなと思う。オフィスソフトも新たに導入するとなると価格がそれなりにするのでどうにも悩ましい。でもソフト類がどうのこうのというよりは結局のところパソコンを組み立てたいんだと思う。

ところでずっと使っているMac Pro Early2009も今年で販売から10年目を迎えることになる。普通ならもう性能的に買い替えの時期なのかも知れないけれど、この機体には愛着があるし、性能としてもう実用に耐えないということもなく、特に5年ほど前に起動ディスクをSSDに替えてからは動作も悪くないので今後も「母艦」として使っていきたいと思っている。

ただせっかく拡張性のある構造なのにこれまでにハードディスク以外はほとんど取り替えたこともなかったので、少し「テコ入れ」することにして、ビデオカードを販売当時はオプションでしか付けられなかったATI Radeon HD 5770 1GBに変更した。中古品で値が落ちていたとはいえ、今の自分にはちょっと厳しかったのだけれど。

最初、スロットに差し込んで電源を入れても全く動かなかったので、「ハズレをつかんだのか・・・」と焦ったけれど、何のことはなくて補助電源ケーブルを付けていなかったことにだいぶ経ってから気づく。
カードを変更して、しばらくマックに向かってなかったので今頃調子を試しているけれど、実感できたこととしてはVirtualBoxのWindows10の動作がだいぶ良くなった。前は起動も遅くて、起動してからももっさり感が絶えずつきまとったけれど、起動も速くなり、その後の動きも以前よりだいぶ実用的になっている。

写真や動画を扱う場面でもこれまでよりは性能が上がっていることが期待できる。というか、上がっていてくれないと困る。

メモリも、ずっと8GBで使ってきたけれど、中古品の値が下がっていることもあって倍の16GBにしてみた。

きちんとヒートシンクで覆われたメモリでかっこいいなと思っている。MacProのメモリーはエラーチェックというものが付いていて、安定性を重視しているのだとか。なんだかよくわからないけれども、マックの方は自作などかなわないし、こんなことで精一杯の「改造」だけれど、これから長く使っていきたいと思っている。

ほとんど愚痴、後半Windows10

最近はふさいでいることが多い。外も出歩かないし、親の通院の行き帰りに会話もしない。どのみちあちらも疲れている。ここ数日は買い物に出るのもおっくうで、親は仕方なしに前に買っておいたものや人からの頂きもので食事を済ませていた。母親はデイを休み、一日のほとんどを横になっている。最近せきの数が増えているので気になっている。あの症状は急にわるくなりやすいので。早く来週の受診日が来ないかと思っている。父親のケガのためにさらに通院の回数が増えた。幸い外傷ばかりで時間が経てば治るということが救いになっている。

父親がケガをした際にどうして救急車を呼ばなかったのかが悔やまれる。もっとも結果としてはいい方向に行っているのでそれはいいとして、やはり大きな外傷が疑われ、体の中にも影響があることを予測して一刻も早く病院へ着ける救急車を呼ぶべきだったとは思う。思うけれどもそれをあんまり人から言われると(たとえば母親など。)、「それじゃ、あんたが呼べばよかったやん」と反発したくなることもある。

6月30日というのは、もう何年も前、父親が心筋梗塞で入院をした日にあたる。あれ以来、この日が来るたびに気持ちが重くなっていたものだけれど、その他の疾患がそれに重なって次々現れてくるたびに、気持ちの重さは日々のものとなってしまった。あの時もそれが心筋梗塞の症状だとはわからずに、ただ母親が朝家を出ようとする僕を呼び止めて「具合が悪そうやからお医者さんへ連れて行ってあげて」と話してきたのだった。
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いっぱいいっぱい

親が怪我をして急に病院へ行かないといけなくなったり、それがたまたま仕事が二重に重なっている時に当たったりして、この一週間、特に後半はバタバタしていた。地域包括支援センター(これ、もう少し馴染みやすい、やわらかな名前の付け方ってなかったんだろうか。)から定期的な訪問のお約束を春にしていたはずが全くご連絡がないことを発達の支援員さんにお伝えしたらご連絡を取ってもらえることになり、「訪問の日時を決めましょう」というお知らせがセンターから来て、親の怪我の事と共に、こちらの都合のつく日程を伝えることができた。嫌なことはあったけれど、タイミングとしてはそれも含めてお伝えすることができるのでちょうどいいのかもしれない。親はしばらくまた通院が続くのでかわいそうだけれど。

今回、自分が家でしている(した)作業のうち、一方はBoot Campを使ってマックでネイティブに起ち上げたウィンドウズ7の上でやったのだけれど、作業自体は自分が好きな部類のものなのでむしろ楽しみながら出来たものの、ウィンドウズの挙動には戸惑った。まず、しばらく起ち上げていなかったためか例の「ウィンドウズの更新」に結構な時間を取られて肝心の作業をする時間が削られてしまう。毎日ウィンドウズを使っている人なら更新もこまめにできているだろうからさほど障害にならないのかも知れないけれど自分の場合そうではないので、まずそこで効率を落とされてしまう。あんなことになるのなら少なくとも必要なソフトウェアが動くのを確認してしばらくネットからマックを離しておけばよかった・・・と今さら気づく。
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梅雨らしくない梅雨の憂うつ

また少し、気持ちがうっとうしい方へ傾いていっているように思う。暑さが不快になってきたせいだろうか。梅雨に入って低気圧に覆われることが多いせいだろうか。これもよく思う。自分の今の進展の度合いに比べて時間がとても早く過ぎていくのが気持ちわるい。
幸い、親は前に比べたら安定している。けれどちょうどそんな時に診察があってまた気がかりなことを言われるかも知れないというのもゆううつ。

父親と買い物に出かける気にならず、なるべく早い時間帯に食材と、父親が懇意にしているおうちの子供さんのためのお菓子を買いに出かけた。スーパーはこれまでになく空いていた。人が多いとスーパーは「戦場」になる。人が少ないのがいい。何も思いつかないのでカレーとお好み焼きの材料を買った。帰ったらどうしてか二種類とも作り始めてしまい、先にできたカレーを今夜は食べることにした。お好み焼きは焼くところまではせずに明日の晩に(朝やお昼は、やはり父親が懇意にしているおうちからおにぎりなんかを頂いてきたりして済ませている。)焼いて食べることにした。うちの不健康で貧相な食生活。

夏の分の仕事が入ってきそうなのはありがたいのだけれど、お客さんを迎え入れるはずの部屋はようやく壁紙を貼り始めて、天井も一部まだ空いているというような状態。しかも苦労して貼った一枚目の壁紙は角の方のノリが効いていないし垂直も少しずれてしまっている。こんなことならどこか喫茶店ででも打ち合わせをしたいと思うけれど、あちらのご都合もあるのでずっと続いてきている自宅での打ち合わせについて、そのやり方を急に変えるのも良くない気がする。

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食べられなかった饅頭

うろうろとしている間に外で写真を撮るのが厳しい時季になってきました。暑い。僕は暑さ、寒さの両方ともに同じぐらい弱いのです。暑いと汗をかくのも困りものです。あの皮膚と衣服の間にベタッとくる感覚がともかくいや。小さな頃のアトピーの名残なのか皮膚自体が過敏で弱く、汗をかくと痒くなることも多い。ふだん無精をしていてもすぐにシャワーを浴びたくなる。今はどうせまた汗をかくのだからと、どうしても必要な時以外はなるべくシャワーを浴びないように節約(無精とも言う)をしていますが。それも汗が引く環境あってのことです。

中学の頃、「耐寒マラソン」なるものがあって、クラスで目標を作って早朝から自主的にグラウンドを走るというものでしたが、それが嫌で学校に遅れることも多くてほとんど走れませんでした。それが体に活力を入れるのに合う人はいいとして、僕のように体に合わないことを行事として設定されてもできないので、もう少しゆったりとした体の起こし方・熱の入れ方というものもあっただろうにと今なら思います。早く出てゆっくりと歩いてくるだけで走っても走らなくてもいい、とか。

ついでに言えば、運動系クラブ活動というのも、あれもどうかなと。もちろん若い頃に体力をつけることは大切なことだとは思うものの、たいていのクラブ活動はある程度運動能力が平均的な子供なら補欠であってもついていけるけれど、その能力に劣るとやはり疎外の対象になりやすい。まして人との関わりに難があるとああした集団にはいづらくなります。野球だ、サッカーだと放課後のグラウンドを占有されるので、その中にいなければ学校で自由に運動をする機会が奪われてしまいます。これは文化系の活動にも言えると思うのですが。
先生も授業のほかにクラブの担当を持たされるので休みにも出勤しないといけなかったりする。どうしてもやらせたいなら地域の、それこそサッカーや野球やテニスや卓球なんかが得意な若い人にバイト代を払ってコーチになってもらい、やったらいい。そしてできればグラウンドの占有はなるべくやめてもらいたい。クラブ活動が生徒どうしのいじめや万引き・喫煙などの不良素行の原因になっている場合もよくあります。

最近とてもよく見る、「何々さん、何々大会出場決定!おめでとう」みたいな横断幕もかなりお金がかかるものなのだけれど流行のようにやめないなあ。
放課後のグラウンドはむしろ運動能力に関係なく、楽しみながら体力をつけたい生徒のために開放すべきだと思います。僕は、運動能力は平均より劣ったけれど、別に運動が嫌いなわけじゃなかった。ところが放課後に「クラブ活動」なるものに学校施設を占有されるので、道路や田んぼで弟や父親相手にキャッチボールをするくらいしかできないわけです。家で道具を買うことが難しいスポーツなどはその機会さえ与えられない。せっかく学校という公共施設へ通っていたのに。
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難儀に思えたりかわいそうと思ったり

今頃気づいたことのひとつに、親が「料理」というものができなくなっていた、ということがある。もっとも自分だってできたものではないのだけれど、材料を揃えておいて作り方を読みながら作ることは味はともかくなんとかできることが多い。ところが親の年齢になると、もうその作り方を読みとって理解すること自体がしづらいようで、スーパーで適当な素材を見せながら「これ、読んで作れるか?」と聞いたら、「わからん」という答えがかえってくる。魚を焼くことさえ面倒なのか、しない。ただ惣菜コーナーへ行って出来合いの食品を買う。焼き鳥とかから揚げとかポテトサラダとか、決まったものが多い。

なんだかあんまりなことになってきたので、最近はできるだけ自分で簡単なものを作ることが多い。昨日はハヤシライスを作った。今日はお好み焼きを作った。どちらもあんまり文句も言わずに食べたけれど、ハヤシライスの残りを食べようとしたときに母親は「それ、ソースをかけた方がええで。」というので、どうも甘口すぎるカレーと勘違いしているようだった。お好み焼きは一枚一枚フライパンで焼いて出したらペロッと食べていた。父親はいつの間にか魚がきらいというようになった。母親は熱いものがだめで、ごはんも炊きたてなどは食べずにさめたおにぎりでないとだめとか、いろいろと難しい。うどんひとつでも暖かいものとそうでないものをつくらないといけない。

もうひとつ、これも今更な話だけれど、いろんな手続きごとを親ができなくなっている。具合のわるい膝用のサポーターの請求書がおくられてきたものを見せてもいつまでも放っておくし、固定資産税徴収の知らせが来てもまるで見ようともしない。結局数日してから自分が郵便局へ振り込みに行ったり役所に確認の電話を入れたりしないといけなかったりする(電話は苦手なのに。)。セニアカーの点検も問い合わせを入れないといけないのにいつまでも放っておくのでそれも仕方なく問い合わせをして日にちを決めた。ただ考えてみれば、そういうことが出来ていた時間が、平均的に見れば長かったのだ。
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